【発信コンセプト】僕が「心穏やかな日々」を渇望する理由と人生を通して伝えたい思い。

 

どーも!愛原です。

 

当記事では、僕がブログを通して伝えたい思い。

 

  • 「誰に」伝えたいのか?
  • 「なにを」伝えたいのか?
  • 「なぜ」、伝えたいのか?

 

をお話します。

 

シンプルな結論を申しますと、

 

「社会ってめちゃくちゃ生きづらい!!!」

 

と思い、

 

「生きやすく生きたい。楽しく生きたい。」

「もっと心穏やかに生きたい」

 

と、渇望している方へ、

 

「生きやすく。楽しく。心穏やかな日々」の実現方法を伝えています。

 

そのまんまですが、わかりやすく伝えると、こんな感じです。

 

さらに、そんな「理想の人生の実現」を通して、あなたが、

 

生まれてきてよかった。

 

と心から思える状態になってほしい。

それが、僕の一番の願いであり、発信する目的であります。

 

では、なぜ、「心穏やかな日々の実現」を掲げるようになったのか?

いまから、僕の人生を振り返りつつ、お伝えしていきます。

機能不全家族、いわゆる「毒親」の下で生まれ育った僕。

僕の両親は、顔を合わせばいつも、大声で口喧嘩をしていました。

幼い頃から、その「しょーもない口論」を聞かされてきました。

 

一言二言話せば、すぐ感情的になって声を張り上げる二人。

家の雰囲気は一瞬で地獄と化し、兄妹たちの心は緊張で張り詰めます。

 

父:「なんでそんな言い方しかできないんだ!!!」

母:「だったら言わせないでよ!!言わせるあんたがわるい!」

 

父は普段、口数も少なく大人しい人ですが、酒癖がわるかった。

お酒を飲むと、態度が大きくなり、口もわるく、強気。そして、ブチ切れる。

 

母は、思ったことはそのまま口に出すKYな人。

だから、マリオでいう「スター状態」な父にも臆さず、いつもの強気な口調。

普段、我慢しがちな父は、お酒に酔った勢いで、ありったけな大声で叫ぶ。

 

父:イチイチうるせぇんだよぉおおぉおおお!!!!!!

 

ゴリラのように机を叩き、あらゆるドアを力いっぱい閉め、怒りを表現する。

 

幼い兄妹たちは、その罵声と物音に、ビクビク怯えていた。

 

「なぜ、夫婦仲良くできないの?」

「なぜ、横で罵声を聞いている、私達の気持ちを考えてくれないの?」

 

悲しみに苛まれる心。

いつしか僕は、喧嘩が始まりそうな雰囲気を察すると、わざと全然関係ない話題を親に振るようになりました。

今思うと、この行動は、アダルトチルドレンの特徴、「道化師」そのもの。

 

少しでも両親の気を逸して、喧嘩を防ごうと必死だったのです。

【クラン(道化師)】

慰め訳の亜種として存在する子です。たとえば親たちの間にいさかいが始まり、家族に緊張が走るような時、突然とんちんかんな質問をして笑わせたり、歌い出したり踊り出したりする子です。
 こういう子はふだんから表面的には非常にかわいがられていて、ペット的な存在です。本人もかわいがられることを楽しんでいるようなのですが、道化師の仮面の下にはさびしい素顔がひそんでいます。

参照元:日本トラウマ・サバイバーズ・ユニオン

 

幼少期の経験から僕は、怒りの感情に対して敏感になりました。

 

自分が怒られているわけでもないのに、教室で先生が怒っていると、心臓がバクバクと動悸がしたり。

相手が怒っていないか、いつも相手の顔色を伺ったり。

 

「誰かに怒られるんじゃないか?」という恐怖心から、人目を気にし、「怒られないための行動」しかできなくなったり。

「断ったら怒られる、嫌われる」と思い、頼まれごとを断りたくても断れなかったり。

拒否されたり、怒られるのが怖くて、人に頼み事ができなかったり。

 

機能不全家族での生育過程は、対人関係に大きな影響を及ぼしその後の人生に大きな影をもたらしました。

 

特に社会人になってからの「生きづらさ」は、絶望的でした。

物心ついた頃から、

 

「もっとやさしくて平和な世界で生きたい」

「安心して生きたい」

 

と不安定な心はいつも、「穏やかな心」「穏やかな人生」を欲して止みませんでした。

いじめられていた小学生時代。

思えば小学生の僕は、いつも「ぼーーーーっ。」としている子でした。

授業中は、空想の中にふけっていて、ほとんど先生の話を聞いていませんでした。

 

ADHDの特性から、話をきくのが苦手だったのもあります。

話しかけられた時も、あまりに反応が遅かった。

 

ランドセルや机の中は、丸まったテスト用紙、保護者への配布物、無くしていたはずの短めの鉛筆、小さな消しゴムで溢れ返っていました。

そのせいか、掃除の机運びの際には、自分の机が他の人よりも特段重かったのを覚えています。

 

いつしか友達からは、「天然キャラ」としてイジられるようになりました。

イジりは次第にエスカレートし、「イジメ」になっていきました。

 

呼び名は天然ボケから天然が抜けた「ボケ」と呼ばれ。

胸ぐらを掴まれたり、仲間はずれにされたり。

 

気づけば、イジメられっ子グループの仲間入り。

そんな状況を認めたくなくて、悪口を言われても、バカにされても、おどけて、無理に笑って。強がって。

 

悲しい心とは真反対の「明るい自分」を演じて。。

「道化師」になり、「自分の気持ちに嘘をつく癖」は抜けていませんでした。

 

「なぜ、人が傷つくことを平気でいうのだろう?」

「なぜ、自分がされたら嫌なことを人にするんだろう?」

「なぜ、人は、人にやさしくできないんだろう?」

 

小学生ながらに、いつも思っていたことでした。

この経験から、

 

「もっとやさしくて、穏やかな世界で生きたい」

 

この思いは、さらに強くなりました。

生きづらすぎた会社員生活。

社会に出ると、上司や先輩方から厳しい洗礼を受けました。

ADHD特性をもち、不器用すぎた僕は、

 

「なぜ、お前は~ができないんだ?」

「普通はできるぞ?」

 


こんな風に、指摘を受けたり、怒鳴られたり、あきれた目で見られたことがたくさんありました。

 

直属の上司は特に怒りっぽく、感情が抑えられない人でした。

罵声、怒号を、狭い営業車の中でほぼ毎日のように浴びせられました。

 

「お前はバカかぁああぁあ!?頭おかしいんじゃねぇかぁあぁああ!?」

 

物理的に暴力を受けたことも何回かあり、もはや完全な「パワハラ」でした。

でも小心者な僕は、助けを求めず、我慢をしていました。

 

誰かに言って、上司の耳に入れば、今以上にパワハラがエスカレートする。

「チクる奴」というレッテルが貼られ、周りからも冷たい目で見られる。

そう本気で思っていたからです。

 

なおもエスカレートするパワハラ。

朝は早く、夜は遅くの生活。

毎日毎日仕事に行きたくなくて仕方なかった。

毎日不安で、上司と会いたくなくて、会社に行きたくなくて。

 

日曜日の夜は、まさに「サザエさん症候群」的な感じで、憂鬱でした。

だんだんと、物覚えが悪くなり、ちょっと前に聞いたことも忘れるようになりました。

人が話している内容を理解しづらくなりました。

 

そして、文章を理解することも難しくなりました。

 

今思うと、完全なるうつ状態でした。

 

恐怖と不安と絶望の日々。

 

社会ってめちゃくちゃ生きづらい!!!!(T_T)

 

心はもうボロボロでした。

 

「もっと生きやすく生きたい」。

「もっと人生を自由に、楽しく生きたい」。

「生きててよかったと思いたい」。

 

それは、泣きながら仕事をし、泣きながら浮かんだ「心の叫び」でした。

人生の絶望を乗り越え、いま、心から伝えたいこと。

このように、僕は幼少期から、「不穏な日々」を生きてきました。

 

不安。

恐怖。

イラ立ち。

悲しさ。

生きづらさ。

 

いつも不安定だった心。

 

高校生の頃には、生きる意味を見失い、生きる気力も失いました。

 

「なぜ、こんなにつらい思いをしてまで生きなきゃいけないのか?」

「生きる意味ってなんなのか?」

 

と、自問自答する日々。



今では、この頃では考えられないくらい、「生きやすく、心穏やかな日々」を過ごせています。

 

  • 前より圧倒的に、人目が気にならなくなりました。
  • 怒られる恐怖、「対人恐怖」から解放されました。
  • 3年間以上の「会社恐怖症」が無くなり、日々の不安から解放されました。
  • 自己否定ばかりで、全くなかった「自信」を取り戻し、自己肯定感が高まりました。

 

あきらめなくてよかったな。

生きててよかったな。

と心から思います。

 

不穏な日々を過ごし、穏やかな日々を渇望していた僕だからこそ、伝えられることがある。

 

僕のように、繊細で傷つきやすくて、生きづらさを抱えている人の力になりたい。

穏やかに、安心して生きたい人の願いを叶えたい。

 

そう強く思い、ブログを立ち上げました。

 

生きやすく、楽しく、穏やかな日々。

生まれてきてよかったと思える人生。

 

共に実現しましょう。共に目指しましょう。

 

当ブログでは、僕の経験や学びから得た方法をお伝えし、あなたをサポートしていきます。

 

そんなこんなで、長々とここまでお読みいただきありがとうございました!

一緒に、最高の人生をつくっていきましょう!!!